カルチャーショック@ラボ

これまでに何度か違うラボに移っているので、そのたびにカルチャーショックというのを体験する。新しい環境への違和感や当惑といった原始的な感情は、時間が経つにつれて次第に感嘆/敬意/反感等の混じった複雑な感情に落ち着いて行く。同じ状況でも抱く感情は人それぞれだろう。

カルチャーショックについて思うところを備忘録としてまとめておきたい。

 

研究者としての経験の浅いうちは、自分が最初に教わった、たった一つのやり方が正しいと思い込みがちなのでネガティブな感情を抱くことが多いだろう。他人のやり方にやたら口を出したくなると思う。実際に、日本でお世話になったラボでは、外部から来た修士の学生さんがカルチャーショックを受けて前のラボのやり方を周りに強要することがあった。結局最終的には落ち着いたようだが、前のラボの悪い生活習慣が残ってしまったようだ。自分は博士課程在学中に留学した際に初めて違うラボを経験したのだが、実験器具の管理がぞんざいだったり、一方でグローブボックスや蒸留塔の管理が完璧だったりと、いろんなカルチャーショックを受けた。入った当初、実験を行うにあたって自分の流儀を守ろうとした。で、失敗した。他のメンバーはきちんとできてるのに。郷に入っては郷に従う方がいいし、必要なのは無駄なプライドを捨てて素直になることだと痛感した。

で、メタ視点から振り返ってみる。ラボが回ってしっかり論文がでているということは、たとえ自分の方法よりも拙く見えたとしても、そのやり方は否定される程間違ってはいないことの証左だ。多くの場合、流儀というものはそのラボの研究テーマや設備環境に最適化されているから、その環境における正解である可能性が高い。なので、少し様子を見てそのラボのやり方に合わせておいて、国の文化や資金的な問題など含めて全体が見通せるようになったら口を出せばいいと思う。入ってくるなり口を出してきた新入りの言動は悪い印象としてずっと残るし、何よりラボの伝統やその状況に至った経緯を理解せずに自分の主張だけを通そうとするのは大人な態度ではないので、最初は我慢して全部受け入れてみるといい。知ってる流儀の数は多い程有利なんだし。

 

現在のラボで受けたカルチャーショックは幾つかあるが、やはりラボの管理が荒っぽいことが印象深い。アメリカ人の性質は日本人と違うというが、試薬の管理や器具の洗浄などの細かい作業や、汚したら片付けるなどの基本的な所作ができていないように感じる。なので、現在暇を見つけては汚いところを掃除している。さすがに勝手に掃除しても悪い印象は持たれないだろうから。彼らはおおざっぱだが親切なのでこちらも何かと恩を返したい。

一方で、彼らの生活は思いっきり効率的だ。ボスの指示はかなり的確なので、やる必要のない実験はやらない。また、自動化できる点は完全に自動化してしまう(データ管理のためにプログラム自作する等)。そして空いた時間をプライベートに使うのでQOLも高い。まあ、この印象はどんどん変わって行くだろうけど、いまのところそんな感じだ。

日本のような時間的拘束がほとんどないので、帰宅後の時間を使って将来のために勉強しておこうと思う。自分のためだけに好きなだけ時間を使える最後の機会だと思うし、帰国後にやるオリジナルなテーマの種を見つけておきたい。